雪ノ助、世の中それでいいのか!―教育ブログ―

日々の教育実践の中から。教育、中学生、保護者の現状と本音を伝えていきます。今のままでいいのでしょうか?

帝王切開死、無罪判決 から

2008.08.21.Thu
加藤医師「きちんと判断、ほっとした」=現場復帰に意欲も−帝王切開死、無罪判決(時事通信) - Yahoo!ニュース

ニュースの詳細は、少しだけネットで見ただけなので、よくわからない。
帝王切開したときの出血が予測できたかどうかが裁判の焦点なのだろうと勝手に解釈。
そもそも、この裁判は、遺族が、亡くなった経緯を知りたくて起こした裁判のようです。
けれども、裁判で争ったが経緯がわからなかった模様。

さてはて。

とりあえず、裁判は無罪判決でよかったと思います。
医療事故は確かに起こると思います。人の腹を切ったりするのだから、100%っていえないと思います。
だから、それだからといって、それに全力を尽くした医師を責めることいけないと思うし、それが許される社会であれば、誰も医師なんて目指さなくなりますから。

ただ、それが全力を尽くしたのか、それとも怠慢だったのかはわかりません。そこがもめる原因でしょう。


こういうニュースを見ていると、遺族側が「事件の真相が知りたい」と嘆願します。
ぼくはいつも思います。

「どんな真相ならば納得するんだろうか?」

と。
事情説明がなされても遺族は「まだ隠し事がある」って言っているように聞こえるときがあるのです。
つまり、事情説明が「こうこうこういう経緯で、こうなりました。だから、悪いのはこちらで、全面的に責任があります」とまで言わなければ納得しないのではないのか。

事件の真相、というよりも、自分が納得できる説明を求めているのではないかと。
都合の悪い真実はいらないのではないかと。

冷たい言い方かもしれませんが、日常的にそういうことはないですかね?

自分が知りたい結果だけに耳を貸したり、都合の悪いことは聞かなかったり、
自分の言いたいことばかりを相手に言ったり、悪いところを隠して説明したり。

人間が私利私欲で生きている限り、自分の都合を優先して、都合の悪い真実は闇の中に葬り去る、そんなことが繰り返されているような気がします。

決して、今回の件がそれといっているわけではありませんが、今回のニュースを見て、日常生活でもそういうことが往々にしてあるわなと思うのです。

それに、自分の都合のよい説明をひたすらに求めてみても、それが得られる希望がなくて。
でも、その人にとってはそれがなければ次に進めないのです。
進めないので、歩みをとめてしまう人生。
それがいいのだろうかと。

この辺が合理主義的考え方というのでしょうが。

(終わり)




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2008-08-21.Thu 04:58
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