雪ノ助、世の中それでいいのか!―教育ブログ―

日々の教育実践の中から。教育、中学生、保護者の現状と本音を伝えていきます。今のままでいいのでしょうか?

親を見れば子がわかる

2009.11.07.Sat
保護者との懇親会がありました。
本当におもしろいことに、「保護者と話をすると、子どもの姿が簡単に想像できる」ことです。
この親にして、この子ありです。

よくしゃべる親の男の子は、あまりしゃべらない。
これはかなりの数がそうだと思いますが、あたっています。
親のマシンガントーク具合と反比例する形です。
男の子は、家では母が話す分、自分からしゃべらなくていいから、しゃべらなくなるのでしょうね。

賢い保護者の子は、賢い。
この賢いは頭の良さとはイコールではなくて、品がいいといってもいいし、人との付き合いがしっかりできて、いい印象もたれる保護者です。
自分の見られ方や立ち振る舞いを考えているので、人に配慮ができるし、子どもにもこうした教育が行えるのでしょうね。

子どもを溺愛する親の子は、打たれ弱い。
人前で、溺愛ぶりを話す馬鹿な親は自分のそうしたことが馬鹿なこととわからない非常識な考えをもつ親です。
非常識なもとで育てられた子、しかもそれが溺愛されたら子どもも壊れてしまいます。
ただ、愛情はかけてもらっているので、まともに育ちますが、打たれ弱く、下手をするとわがままです。

対人関係を積極的に作ろうとしない親の子は、あまり積極的に人間関係を作らない。
保護者がたくさん集まる場で、人間関係を自分から作れない親は、単純に苦手なのですから、子どもにも伝わってしまいます。
場にいても、どこかしらけているような、でも何を考えているのかわからないような、とっつきにくさを発生させます。
子どもも見事にそれに当てはまって生きます。

厳しすぎる親の子は、案外まともに育たずもやしっ子。
厳しいから子どもが育つか、と言われるとそうでもなくて、やっぱりバランスが整っていないと子どもは健全に成長しないのです。
ああしなさい、こうしなさい、と言われて育つと、自主性が失われて、何事にも目的意識が持てなくなるのではないかと思います。
それか、親が厳しすぎて自信を失わせているのだと考えられます。

馬鹿な親の子は、馬鹿。
言わずもがなで、歴史はくり返す代表例です。

親が子どもに後ろめたさを持っている親の子は、どこか暗い影を持つ。
離婚などによって、親が子どもに申し訳なさをもっていると、親の接し方がまともでなかったりします。
こうやって、育った子は何かにおびえるような部分や、ちょっとした不可解な闇を感じさせます。
それは、家の暗闇によって染まった色と同じように映ります。

親と子が良質のコミュニケーションを取れる家の子は、健全に育っている。
クラスに1例いるか、どうかぐらいですが。
良質のコミュニケーションはお互いの信頼の証であり、子どもにとっては大きな自信です。
本当に、健全に育ちます。
表現を変えると、その子のことをまぶしく思うくらいです。

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すべてあたっているかはわかりませんが、教師の立場から見た例の話です。
参考にしてみてください。
また、あったときには特集をします。

素行の悪さ

2009.11.06.Fri
この時期はクラブの新人戦がだいたい終わった頃です。
負けん気を持って、相手と競い、勝つ喜び、負ける悔しさを味わうわけですが。
その競技の中でも、相手にいちゃもんをつけたり、文句言ったりすることがありました。
それは審判に処置をしてもらったのですが、今度はそれが選手が着替えをする控え室で起こっていたみたいです。

顧問としてとても腹が立っており、向こう方の顧問への苦情と指導の徹底の要望はもちろんのこと、大会の主催者の中体連にも苦情を言うつもりです。
選手は競技に集中するのであって、こうした非人道的行為のための大会でもないし、生徒の成長を考えると見逃すわけにはいきません。
正式な謝罪、指導、しつこい場合には出場の停止を。

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子ども達は若いがゆえに無鉄砲で、こういうことが起こるのかもしれませんが・・・って普通起こりませんが。
とても腹が立っている背景には、その顧問の先生の危機管理能力のなさです。
顧問同士は知り合いなのですが、むこうの顧問の先生は若くて女性。
選手の生徒は、スカートの丈も短いし、気性も荒い。

そんなことはわかっているわけで、話の度に指導のことをそれとなく言ったはずなのだけど、できていない。
挙句の果ては、試合中に相手選手への文句。
ぼくが顧問なら、その子のことは許さない、と言いますか、ありえない行為で、その試合にはもう出さないし、その後の練習試合も当分出しません。
ペナルティもかすでしょう。

その顧問は、結局、そういうことがあっても試合には出すし(出してもいいですが)、その後の指導もせずに(的確な指導ができていないのでしょう)、あろうことか控え室での暴言騒動になっている。
子どもの未熟さはいいとしても、それをくり返させる顧問の存在は許しておけません。

顧問は近所のおばさんでもなんでもなくて、出張もしくは特別勤務の扱いできている、生徒を指導すべき引率の教員ですから。
しっかりしてください。

考えるだけで腹が立ち、不快な思いをしたうちの選手に申し訳ないです。
また、こうした苦情をいったところで、学校の指導のレベルとしてのちゃんとした指導がなされるかも疑問で、不安があり、すっきりとしません。

教員の危機管理というのは、こうしたトラブルが出ないように事前に指導をしておくことなんですが。
今回のトラブルは危機管理上では、確実の想定できる範囲ですし、やっておかなければならないことです。
こうしたことを引き起こすわけですから、はっきりいって、相手の顧問は、クラブ指導の力はないといってもいいと思います。
子どもも子どもですが、それを助長させる教員の責任は大きいわけです。

だって、大会なんて、出なくてもいいんですから。

目立ちたい“女心”が人気支える携帯ストラップ、から見る中高生

2009.11.05.Thu
全然興味すらわかないのですが。

携帯電話に付けるストラップが“多機能化”している。最近、特に注目を集めているのが「しゃべる」「光る」「音が鳴る」などのおもちゃ機能がついたストラップ。ボタンを押すと、ゲームやコマーシャルで人気のキャラクターがしゃべったり、発光したりする。携帯電話に詳しいライター、曽崎重之さんは「主に女子中高生の目立ちたい心理が人気を支えているのではないか」と分析する。
目立ちたい“女心”が人気支える携帯ストラップ(産経新聞) - Yahoo!ニュースより



個人的に、携帯電話にストラップをつけるのも嫌いだし、かばんにバッジやら人形やらをつけるのも嫌いです。
中学生、高校生、大学生がなぜ、ああまでしてたくさんジャラジャラとつけていないといけないのか不思議でなりません。

ジャラジャラの背景にあるのは、寂しさや依存心があるのではないかと思うのです。
何かを身につけていないと不安で仕方ない、何かに所属していないと不安で仕方がない。
その心の現われで、たくさんつけているのだと。

携帯電話が欲しい中高生達も結局のところ、所属意識が欲しいわけで、何するわけでもなくメールをしてつながっていないと不安なのです。
不特定多数の友達をつくって、「自分ってこんなに友達がいるんだ。これならさびしくないんだ」と誇張しないと心配で過ごせないのですから。

自分が自分である、というかっこたる自信がなくて、傷をなめあう友達を求める姿があり、自分の特性を伸ばしていこう、可能性を伸ばしていこうという意識はありません。
こう考えてみると、学習内容が簡単になったのにも関わらず、学習の定着率が下がっているのは、勉強で自分の力を伸ばすことはよりも、自分がどこに所属して、孤立しないことを選んでいるせいなのかもと思えてきます。
勉強よりも、自分が生きている実感が欲しいのです。

だから、付き合えばすぐに簡単に別れてしまうのです。
自分が必要とされている実感が欲しくて付き合うだけなのですから。
欲しいのは他人の存在ではなくて、認めてくれる存在。
当たり前なのかもしれないけれど、それを求めすぎている姿は見ていてさびしい。

この寂しさを埋めるのは、結局、各個人の自信なのだろうと思うのだけれど、ある人に言わせると「それは他人でしか埋められない」との話。
その人の考えが依存したい性質なのか、そうでないのかによって考え方は異なるのかもしれませんが、個人の心の問題、あり方で自立できなければ、まっすぐに自分で歩いていくことなんてできなくなるに違いないと思います。

自分で歩くことができないから、勉強よりもまずは他人との関わりのことを優先して、気づけば優先順位のつけ方がおかしくなっていく。
子どもが親より友達を優先するなんて事態も出てくる。

この心の寂しさ、を埋めることをどうするか、ただ人を頼るだけでは解決しないと思うのですがね。
気づけば、ストラップをジャラジャラつけるようになっていくだけですから。

見えてきた、たばこ500円

2009.11.04.Wed
現実的になってきたのが、たばこ500円。
嫌煙家にとっては、『いけいけ!民主党!!』でしょうね。

職員室でもちらほらと話題ですが、昔の学校の職員室ではたばこを職員室で平気ですっていたようですし、会議室でも同じように吸っていたようです。
なんてたばこの権利が強かった時代があったのだろうか、と嘆きたくなるのですが、平家物語にもあるとおり、盛者必衰の理です。
たばこも、権力が落ち、虐げられるようになりました。

健康に悪い、空気がくさい、服がくさくなるなど、いいことありません。
安いたばこなんて、中学生などの未成年が手を出す格好のものです。
この意味で、過度な嗜好品だと思いますから、その分税金をしっかりとかけてもいいんじゃないでしょうか。

政治家の論点は「いかに税収を増やすか」というところで動いているため、反発が出るのは当たり前です。
健康、周囲への影響、何よりも嗜好品であることを前面に出せば、もっと違う見方ができるのではないか、というよりも、たばこを撲滅せよと思うわけです。

たばこがなくなれば、結果として健康な人が増えて医療費が削減されるかもしれませんし、たばこを撲滅した先進国としてもネームバリューが出るのかもしれませんよ。

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と、まあ、正直、このごろ、受け持ちの生徒、中でも問題行動がある生徒の多くが喫煙している事実を知って、しかも、それがやめられないことをしって、より一層増税に賛成になりました。
もしも、たばこが1箱500円、1000円もするんだったら、生徒もきっと簡単に手を出しはしないだろうし、未成年の身体への毒の蓄積も軽減されるのだろうなって、思うんですよ。

たばこの自動販売機についている、顔認証機能なんて、普通に中学生なんて認証されてしまいますから意味ありませんし、タスポなしの自販機だってあるし。
やっている方向性があっているのかと疑問に思うばかりです。

<関連記事>
たばこ嫌い
<たばこ増税>児童手当拡充で、1本1円値上げ 来春から
札幌も歩きたばこ禁止 マナー向上へ条例

信頼関係をつくる

2009.11.03.Tue
担任している子から、顧問の先生に怒られてすごく腹を立てて、裏切られたと言われたことが最近ありました。
内容を聞くと、期待しているからこそ顧問もそういうことをいったんだろうなという言葉でした。
ぼくよりもさらに若い先生ですから、キャリア的に不足で、言葉不足な面は否めません(僕自身も言葉不足な日々ですがね)
うまく人間関係ができていると思っていても、それが信頼関係ではなくて、ただ怒らない甘い関係だけだと、ちょっとしたことでひずみがでてしまいます。

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教師の仕事の面白いところは、なによりも人と関わり、その成長を見届けることができることにあると思います。
あとは、いろいろな刺激的なことが起こるところとかありますが。

人と人がつながって生きているわけです。
それが年齢がどうの、性別がどうのというのは関係なく。
なので、教師と生徒との関係も様々です。

生徒との関係を作るのはうまくいったりいかなかったり。
うまくいかなくても教師はそんなに困ることがないのも事実で。
だけど、それは寂しいことです。

信頼関係ができてくると、生徒がこちらの見る目が変わってきますし、ちょっとした無茶を許してくれますし、意向を理解しようとしてくれます。
そのさいたるものがクラブ指導でしょうね。
顧問と生徒に信頼関係があるから、顧問の指示を全面的に信じて、そうやって努力をするんです。

逆に、信頼関係がないと子どもが揚げ足をとったり、一生懸命努力しなくなったり、目的は同じなのに弊害が生まれます。
担任と生徒の関係も同じで、うまく信頼関係ができたら味方だし、できなければいつ裏切るかわからない生徒だし。
こうした心の動きを追いかけ、どうにかして生徒を落とすかを考えるのも面白いのです。

信頼関係をつくる簡単な方法は関わること。
現在のクラブでは、ぼく自身が非常にクラブ活動に出ているため(学校で一番です)、生徒との信頼関係は非常に厚いと感じています。
それは生徒のために動いていることを生徒が理解するから、言い方は悪いけれど、その見返りとして信頼がきているのだと思います。

担任と生徒となると、なかなか関われない子がいるから、そのケアが大変で、これは「ほめること」が大事になってきます。
関われないけれど、ほめてその子の存在を認めてあげること。
余裕がないとできません。

うまく信頼関係ができていないと、ちょっと怒っただけで生徒が手のひらを翻したような態度をとることもあります。
それは子どもだから余計に起こることなんですが。
そうしたときには、過信した自分にショックがあります。

この辺のバランスがうまくとれるようになったら、きっと一人前の教師の一つの側面が埋まるのだろうなと思うこのごろです。

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自分の人としての器の問題もありで、生徒から全幅の信頼を寄せられるとちょっとプレッシャーで困ることもあります。
子どもの目がまぶしすぎる・・・。
そんなときは、自分は偽ることなく誠実に関わろうと思って行動します。
できないことはできない、と言える、これも信頼関係をつくる大事な鍵なはずです。

子が子ならば、親も親。

2009.11.02.Mon
クラスメイトに「勉強やる気がないなら、帰れや」と言われて帰ろうとした子がいた。
授業中にかばんを持ち、帰ろうとして靴箱まで降り、授業を担当していた教師の制止でとまり、学年団の教員がその後を対応した。
そもそも、帰ろうとした子自身が授業にやる気がなく、授業での班活動で一つもやらなくて「ちゃんとやれや」と班員の声に「なんでちゃんとやらにゃあいけんのか」と反論したらしい。

結果的に、引き止めたわけですが。
まあ、一つはこういう形で早退させると、保護者対応が面倒だということ。
せっかくきたのだから、最後までやれという思いもある。

もともと、何事もやる気のない自閉的な子ですから、学校なんて遊びの場でしか捉えていません。
人の迷惑なんて考えられないし、今自分がしたいことを優先させ、やりたくないことはしたくないのですから。
そんな考えだから、学校にきたりこなかったり。今はきているのですがね。

はっきり言って迷惑で、不登校になってもらいたい。
が、担任である以上はその胸のうちは苦しいもので、自分が担任でなければわからない葛藤があるものです。
親に連絡しても「あ、そうですか」と何の感想も反省も謝罪もないのです。
「学校に任せていますから」と。
ちなみに、子どものことは「子どもに任せていますから」と言い切るわけです。

一体、何を考えてこの人は親になっているのだろうかと疑問に思うばかりです。
親も親なら、この子もそうなってしまいますよね。
この子ことを考えると、面倒なことばかりが降りかかってしまいそうで、とりあえず「迷惑をかけないこと」「わがままを通させないこと」は守らせようとは思いますが。

授業中はもぬけの殻ですから。
いても意味ないよなあ。
中学卒業したら何をするんでしょうかね。
馬鹿親はそこで目が覚めるんかな。

慌てふためく様を笑ってあげるよ。

中学生の進路指導って・・・

2009.11.01.Sun
中学生の進路について、希望もあるのですが、憤りを覚えることが多いです。
その一方で、自分達の人生だから好きやったらいいじゃん? って思う心もあります。
中学校教師なんてあくまでも3年間だけのお付き合いなのですから。

進路というとどうしても、高校のことがちらついてきます。
進路の時期になると、保護者は「どこの高校なら大丈夫なのか」と言ってきます。
それはそれでいいのかもしれないけれど、将来のことを考えるのが進路なのに、それほど行き当たりばったりでいいのか? と正直思うのです。

例えば、アルバイトを探すのでも、「どこでもいいから働きたい」と思うわけじゃないでしょう。
ある程度、自分にできそうでやりたいものを選ぶでしょう。
就職するときでも、「どこかで働けたらいい」なんて考えでは選ばないし、それでは続かないでしょうね。
ご飯を食べるときでも、時間にゆとりがあればお店を選びたくなるでしょう。

「どこでもいいから」というときには、その場限りの選択でしかありません。
その後がどう続いていくのかは別問題です。
でも、現実にはその場限りがいかに多いかということです。

「理想を語るには力が必要だ」とマンガのセリフですが、とても印象的に残っています。
中学生が鍛えられてないのに、あそこに行きたいだの、ここは嫌だの、理想なんて語る力はありませんよ。
その前に、もうちっとは鍛えておかないと・・・。

個人的には、中学生ごときの勉強内容や生活ルールが守れない者が、高校や社会でうまくできるとは思わんですよ。
今、鍛えてないものが将来うまくはばたけるとも思わないです。
その意味で、もう中学校にはいったときから進路は始まっているのです。
が、現実的に動いていく者は少ないです。

保護者が進路のときに「どこかいけるところを」と言った時点で、その保護者は子育て失敗だと思っていいんじゃないかと思います。
「あ、でも、私立はお金が・・・」なんていうなら、その前に子どもを鍛えておけと。

将来が見えない子どもが多く、どんな進路を歩むのだろうと不安ですが、その前に、保護者の進路指導ができないので、問題です。
学校は3年だけ、保護者は一生関わることですから、どちらが熱心にやらなければいけないのかは明白ですよね。